パンデミックの真っ只中で
今、私たちは新型コロナウイルスの世界的な感染拡大のさなかにいる。ふだんあまり意識することない 公衆衛生インフラ の重要性が再認識されているが、今回はその中心的社会インフラ・公共下水道の話題だ。
下水道事業の先進市ながおか
長岡市の下水整備事業の歴史は古い。
まず、忘れてはならないのが、下水道法 (1900年:明治33) 制定の立役者、長岡出身の長谷川 泰だ。泰は戊辰戦争に従軍し、河井継之助の最期を看取った医者だったが、戦後に上京して済生学舎(現日本医科大学)を創設し、「下水道の父」といわれた。内務省衛生局長(現在の厚生労働大臣)だった泰は、
「下水道が整備されれば流行病がなくなり、健康な労働者が富を造る」
「下水道を掘ることは、町の中の金山を掘ることと同じだ」
と力説。下水道の普及にまい進した。
長岡市の下水道の始まりは、大正13年1月(全国で7番目!)、上下水道事業として同時着手、竣工は昭和2年3月だった。
この第一期事業の設計者は、長岡出身の鶴見一之註)(1881~1957)。長岡駅を中心とする地域(238ha)に敷設された。当時は雨水と汚水を同じ管で流す合流式で、将来、終末処理場に接続できるように9つの小排水区に分けて柿川などへ排水していた。
これにより、市街地の排水は可能になったが、柿川の汚れは年々ひどくなっていった。終末処理場(下水処理場)が昭和51年9月に供用開始されるまで、柿川の汚濁は続いたが、処理場完成以降、柿川の水質は急速に改善され今日に至っている。
第4期事業 (昭和52年)では川西地区にも着手。当初は市単独事業だったが、のちに新潟県の信濃川下流流域下水道と併せて下水道整備を進め、昭和60年7月には最終処理も可能になった。
「 市民皆下水道 」
平成2年の第5期事業では「市民皆下水道」を掲げ、市街化区域はもとより、市街化調整区域においても、下水道整備を積極的に推進。平成15年度末に、汚水事業は概成を迎える。
合併地域の下水道も整備
こうしてほぼ100%の普及率を達成した長岡は、市町村合併 (平成17〜) 後も、合併地域の未整備エリアへの下水道整備を着々と進めた。
現在の市全体の下水道普及率は92.1%(令和元年度末)である。
※ 整備予定区域のうち、中之島地域と寺泊地域の一部を除き、ほぼ整備を完了している
なお、農業集落排水と合併処理浄化槽による処理を加えた「汚水処理人口普及率」は、令和元年度末で97.7%になっている。
デザインマンホール蓋
ところで、みなさん、マンホールのふたがカラフルになっていることにお気づきではないだろうか? 下水道の管理作業用の出入り口であるこの穴をカバーするのは堅牢な鉄のふたである。ながらく安全第一で地味キャラに徹していたが、なにせ毎日歩く道の真ん中にあって、いやがおうでも目に入る。なんとなく親近感を覚えているのは私だけではないだろう。ということで、長岡市はマンホールの蓋のデザイン化をずいぶん以前から進めてきた。
人気のマンホールカード
デザインマンホール蓋はカードにもなっている。いま、長岡市で配布(無料)しているマンホールカードは最新第14弾の「新潟アルビレックスBB」デザインカードほか数種。くわしくはこちらで。
カードに親しんでくれる方たちと通じ、下水道とともに地域をPRしてくれている!
問い合わせ先 (下水道課):
TEL 0258-39-2235 メール gesui@city.nagaoka.lg.jp
下水インフラ歴史の継承
衛生環境と健康を守る下水道システムは、長岡の先人たちから受け継がれてきた公共の財産であることを忘れずに、しっかり管理運営していかなくてはならない。これは、上水道においても同じである。
下水道の本格普及のきっかけは19世紀ヨーロッパで流行したコレラ菌だったという。
コロナ感染症もまた、新しい発想や技術を生み出すきっかけになる。たとえば、下水(汚水)の中の細菌やウイルスのデータで感染状況をモニターすることなども考えられるだろう。また、現在長岡市では、下水処理場でバイオガス発電に取り組んでいるが、「エネルギーの地産地消」を実現する下水道イノベーションにも挑戦していきたいと考えている。
註) 鶴見 一之(1881~1957)
長岡市出身の教育者。東京大学卒業後、仙台高等工業学校教授(明治41年)。
衛生工学の研究のため、明治43年から大正2年まで欧米に留学。
上下水道の研究を専門とし、衛生工学に関する著書『下水道』を大正6年に出版。
東京大学工学博士(昭和7年)。仙台高等工業学校長(昭和9年)。
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タイトル画像: マスコットキャラあぶらげんしんのカラフルマンホールカバー(とちお道の駅)