この春から、「4年ぶりの開催」を謳うイベントが各地でたくさん実施されている。久しぶりのイベントに、主催者も参加者も 大きな喜びで あふれている。「見附今町・長岡中之島大凧合戦」もその一つだ。
ということで今回は、中之島の「地域の宝」大凧合戦を紹介する。
■ 待ちに待ったり4年ぶり
360年余の歴史を誇る見附今町・長岡中之島大凧合戦は、県の無形民俗文化財に指定されている。
戦いの場は刈谷田川堤防の両岸。中之島サイド、見附サイド、それぞれ両岸から揚げられた大凧を、空中で絡めあい、どちらかの糸が切れるまで引き合って相手の大凧を奪い取る合戦である。北原白秋が「凧のいくさは意気でやる」とうたった今町凧民謡さながらに、色鮮やかな六角凧が初夏の大空に舞い上がり、戦う姿は、まさに豪壮日本一!だ。
よっしょい節(今町凧民謡)
作詞/北原白秋 作曲/町田嘉章
1 越後今町 男の盛り ハヨッショ
凧のいくさは ヨッショイショイ
意気でやる 意気でやる
ハアヨッショイ~~イナ
2 ヨイショヨイショと矢声があがる ハヨッショ
凧は今町 ヨッショイショイ
中之島 中之島
ハアヨッショイ~~イナ (以下略)
大凧の起源は、360年ほど前、信濃の紙商人が端午の節句に当地に立ち寄った時に、刈谷田川堤防で大凧を作って揚げたのが始まりとか。天明年間(約240年前)、雨季にたびたび決壊した刈谷田川の堤防を踏み固める一策として、人を集め川を挟んで合戦を行ったのが、現在の形態になったと言われている。
ふりかえれば、新型コロナウイルス禍で、令和2年・3年と全面中止。昨年は、大凧合戦の技能と伝統の継承を目的に、無観客で「技能伝承会」が実施され、今年、ようやく通常開催とあいなった。
待ちに待った6月3日(土)、私も開会式に、お祝いのあいさつをと馳せ参じた。久しぶりの開催に心を躍らせる観衆に囲まれ、凧組の皆さんの力強いあいさつと選手宣誓を目にして、いかにこの大凧合戦が地域に愛されているか、そして、関係者の皆さんの合戦にかける思いを感じ、胸が熱くなった。
■ 新たな取り組みで「地域の宝」を守る
人口減少・少子高齢化による担い手不足のため、多くの地域で継承されてきた行事や伝統文化が今、断絶の危機に直面している。近年でも、山古志の「古志の火まつり」、三島の登山マラソン、小国のエンデューロ大会などが休止となっている(過去記事)。
中之島でも危機感は同じだ。大凧合戦の伝統を守るため、主催する大凧合戦協会はさまざまな取り組みをおこなっている。例えば──
◎今まで各町内の居住者を限定とした凧組を、だれでも加入可能とした。居住地や年齢、性別を問わず参加してもらうことで、担い手不足を解消し、合戦の魅力を多くの人に知ってもらうことができる。体験参加者として約30人が集まり、女性グループや凧組員の勤め先の方々などが参加し、大変好評だという。
◎市の地域の宝磨き上げ事業の一環で、平成28年から凧組ОB等で構成する「中之島大凧磨き上げ実行委員会」が地域の小学生に大凧の絵付けを指導している。図案は子どもたちが考案し、絵付けした大凧は翌年に合戦で揚げられる。また、中之島中央小学校では今町小学校と刈谷田川をこえた交流会を実現し、地域の宝を利活用して子どもたちのコミュニカティブな成長支援につなげている。
◎地域外へも大凧合戦をPRすべく、中之島凧組合の協力のもと、平成24年から毎年、アオーレ長岡に大凧を展示している。市外・県外からも多くの人が訪れるアオーレ長岡だからこそ、実際に間近に見る大凧の迫力や江戸時代から続く伝統を知ってもらう絶好の機会となっている。
地域外からの広く力を募り、若者世代への普及啓発もすることで、見附今町・長岡中之島大凧合戦は今後まますます地域の宝として輝いていくだろう。
ナガオカの地域の伝統と文化を未来につなげるため、市は住民の皆さんの活動を応援していく。
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タイトル画像: 大凧合戦 たくさんの凧が空を舞う(R5年6月3日)