新型コロナウイルスが5類へ移行し、人の動きが活発化してきた。

道の駅「花火館」はオープン2年半で 来館者300万人突破、寺泊観光客は昨年 1年で206万人──と、感染下においても多くの人々が長岡を訪れ、長岡を楽しんでくれている。今後は、インバウンドによる外国人観光客の増加も期待される。長岡の魅力を活かして、観光、飲食、宿泊、物販、サービスなど幅広く経済的な波及を呼び込んでいこう。その鍵の1つとなるのが、「地域の宝」だ。

今回は、城下町・与板の「地域の宝」を紹介しよう。

 

 

長岡市与板歴史民俗資料館〜1階常設展示では秀吉の死後も主君上杉景勝とともに豊臣方につき、関ケ原の戦いで徳川家康と戦った「直江兼続の生涯」を、2階では徳川の重鎮井伊直政の特別展示をしている。与板の歴史の、実に興味深いところを知ってもらえるだろう。

 

■ 名宝「孔雀の陣羽織」公開

徳川家康に仕え、徳川四天王のひとりに数えられた武将、井伊直政をご存知だろうか。家康の天下取りにおける最大の功労者ともいわれ、赤に統一された甲冑で戦う勇猛な姿は、「井伊の赤鬼」と称された。

現在、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映に合わせて、与板歴史民俗資料館では特別展を開催し、名宝「孔雀尾くじゃくお具足陣羽織ぐそくじんばおり」を6年ぶりに特別公開している。これは、本能寺の変 (天正10(1582)年)──同盟していた織田信長が討たれたとき、堺に遊興していた家康は窮地を悟って自害まで考えたという──で危機に瀕した家康を三河国(愛知県)へ無事帰還させた徳川四天王の一人、直政に贈られた孔雀の陣羽織そのものである。

 直政には長男・直勝と二男・直孝の2人の男子がおり (家督を継いだのは直孝で、その子孫が代々の彦根藩主)、この陣羽織は長男・直勝が受け継ぎ、家宝としてきたもの。直勝の子孫は、領地替えを経て江戸時代中期に与板藩主となって、廃藩置県まで与板を治めており、その後、昭和20(1945)年に井伊家から教育資料として旧与板町に寄贈されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この陣羽織を見てみると──400年以上の歳月を経ているため傷みや風化は見られるが──平成18年度に行った修復で孔雀の羽の色彩が鮮やかに蘇っている。また、孔雀の尾羽の毛先を切り揃えることで、尾羽の美しさを際立せるなどのこだわりも随所に感じられ、一見の価値ありだ。
特別展では、「直政御筆」や井伊家伝来の刀、槍など約20点を展示。会期は6月26日(月)まで。

みなさん、ぜひ、お運びください!

 

「チームわたしのよいた」による歴史・文化の継承

この特別展の開催に合わせて、6月17日(土)に、「チームわたしのよいた」が主催する講演会「どうなった徳川家康と井伊直政」が、よいたコミュニティセンターで開催される。すでに市内外から多くの方から申し込みがあり、その人気ぶりがうかがえる。

「チームわたしのよいた」は、歴史や文化などの学びを通して、地域の誇りの醸成や魅力発信を目的に、平成28(2016)年に発足。40代から70代の地元有志23名で活動している。これまで与板にゆかりの直江兼続や与板藩牧野家、井伊家などをテーマにした講演会をすでに11回開催している。
さらに、与板歴史民俗資料館の特別展の企画や展示作業もボランティアで行っている。与板が誇る歴史・文化を自分たちの手で次世代に伝えていこうと活動している皆さんに敬意を表したい。

 

令和5年5月20日(土)「ありがとう与板町役場」&春の観光まつり(会場:旧与板支所庁舎) 旧与板支所庁舎解体前に行われた今年のイベントは大変盛り上がった。

 

今年度から、与板地域交流拠点施設の建設が本格化する。
建設地となる旧与板支所周辺は、江戸時代初期には与板藩牧野家、その後は井伊家の屋敷(陣屋)があった歴史的にもメルクマールとなる場所だ。地域交流と活動の場、協働によるまちづくりの拠点、そして与板ならではの歴史・文化の魅力を発信する場となるよう、地域の皆さんと意見交換を重ねていきながら、令和7年度の完成に向け、整備を進めていきたい。

地域の新しい時代のシンボルを創っていこう。


   関  連  記  事 :
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長岡市指定文化財 「孔雀尾具足陣羽織」 長岡市与板歴史民俗資料館所蔵

衣桁などにかけて展示すると老朽化により尾羽が落ちるため、箱入れの状態で展示