今年もいろいろなことがあった1年だった。新型コロナウイルス感染症で、制約の多い毎日だった── と だれもがコロナ禍の3年の重さを感じて いるのではないだろうか。
そうした中でも、市民の皆様のご理解で3年ぶりに長岡まつり大花火大会を開催することができた。全国から多くの感謝の言葉をいただき、長岡の「平和への想い」と「ウィズ・コロナの覚悟」を示すことができたのではと思っている。
来年はどんな年になるだろうか(コロナからの解放を思い描く人も多いだろう)。
世界は予想もつかないほど先行き不透明だ。特に経済情勢がどうなるのか、皆目見当がつかない。
12月20日に突然発表された「長期国債利回りの変動幅拡大(0.25%→0.50%)」。黒田日銀総裁は「金融引き締めではない。金融緩和は継続する」と説明したが、「事実上、利上げへの政策転換だ」との指摘もある。指摘通りだとすると、世界(アメリカ)へ資金供給していた日本の異次元緩和(ゼロ金利による大規模な金融緩和)が、ついに終わったということになり、今後、世界的に金融引き締めが進み、不況やバブル破綻の可能性が出てくる、ということになる。
しかし、黒田発言の真意は不明で、したがって先を見とおすことは実に困難だというしかない。
さて今回は、今後の目標としたい「開かれた場」について述べてみたい。
■ハコを出よう
これからの長岡を考えるとき、注目すべき今年の市政のトピックは、アオーレ長岡10周年とトチオーレのオープンだ。
というのは、コロナウイルス禍が、人と人が交流することの価値や意味を、改めて私たちに考えさせてくれたからだ。市民同士が交流する場/来訪者と出会う場/ハレと日常の場──こうした人が交わる「場」をいかに用意し、いかに利活用していくか。それが、活力が生まれ循環する新しい地域社会と、長岡の未来をつくっていくための課題ではないだろうか。
アオーレ長岡の設計者・隈研吾さんが、10周年記念イベントの記念講演(4月10日・アオーレ長岡)で、近代建築について「ハコの不幸」を語ったことは過去ブログで紹介した。
隈さんは次のようにも語っている。
「コロナ禍は、ハコが人間を少しも幸福にしないということを教えてくれた。見返せば、人々は利己的に、ハコの内部の快適、効率だけを追求し、ハコの外部には、汚れたもの、汚れた空気、ごみをまき散らしている。(中略)地球温暖化問題とは、ハコの外部の環境悪化の別名である」(隈研吾展の図録から「ネコに学び、ハコを出よう」)
そして隈さんは、ハコから逃げ出して、幸せを探しに行くことを提案する。ちょうど、ネコがときどき飼われている家から抜け出して、路地裏に散歩に行くように。
この提案は、これからの公共建築物や公共空間がどうあるべきかに大きくかかわってくる。市民の「交流の場」や「出会いの場」をつくるためには、閉鎖的な建築空間ではなく、外部にも開かれ、外からヒトやモノによって多様な情報が持ち込まれ、それが醸成され、また外部にも流通してゆくような「場」が必要だ、というふうに。
■オープンな活動、組織、交流を
建築というハードの課題とともに、その空間がどのように使われるか、どのような人間の交流が行われるか、いわゆるソフト(使い方、ソフトウェア)が重要である。
ポストコロナの新しい時代においては、自由でオープンな精神活動と、「ダイバーシティとインクルーシブ」が求められる。地域活動からイノベーションに至るまで、あらゆる市民活動は、いかに求心力を高めていくかとともに、いかに外に開いていくかが、最大の課題だ。
歴史的に長岡人には、自立への強い意思と「雪国マインド」がある。今冬は早くも大雪に見舞われたが、あちこちで市民同士が助け合う姿を見かけた。一人ひとりが全体のために動くモデルが、長岡にはあると思う。今こそ、オープンな心でそれを発揮していくときではないだろうか。
来年は、地域・学校・公園・コミセン・アオーレで、交流機会を増やしていきたい。
そして、7月22日オープンの「米百俵プレイス ミライエ長岡」を、学びとイノベーションの出会いの場として、多く市民の皆様が集まり活動する「開かれた場」にしていこう。
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タイトル画像: 「ミライエ長岡」内部のイメージ図(3・4階)