最大震度7を観測した中越大震災から、今日で15年を迎えた。
ここに改めて、犠牲になられた方々と 復興に尽力され道半ばで倒れられた方々の ご冥福を心よりお祈り申し上げる。


15年前の今日、午後5時56分。
私たちは経験したことのない非常に大きな揺れに襲われた。大地が割れ、道は崩れ、ライフラインが寸断、、被災住宅は7万棟に及んだ。

いつ余震が終息するのか知れず、極度の緊張を強いられる日々が続く中、予想を超えて膨れ上がる被害──家屋の崩壊、断水・停電・道路・下水などインフラや農地などへの広範なダメージ──が続々と露わになった。住宅の再建など復旧に向かって待ったなし。やらねばならない事の”波状攻撃”に悪戦苦闘しながら市民一丸となって立ち向かった記憶が、昨日のことのようによみがえってくる。

 

献花台に花を捧げるアオーレ長岡

 

 

市民力と多くの支援で復興が進んだ。
復興の過程で、私たちは、コミュニティや助け合いの大切さ始め多くを学んだ。特に、高齢化と人口減少が進む中山間地域で、ふるさと再生への強い想いを持った住民と、それを支える地域外の人々との交流が『行動』につながったことに誰もが目を見張る。農家レストラン空き家を活用した宿泊施設のオープン、都会の若者との交流、生活交通や防災などを担う地域NPOの誕生など、中山間地域再生のモデルとして今も全国から注目されている。
そして、伝統文化(牛の角突き・盆踊り)・景観(棚田棚池など)・観光施設(温泉など)も復興を遂げ、しっかり継承されたのだ。

震災の翌年から市民の力で打ち上げられた復興祈願花火フェニックスは、長岡が復興にかけた懸けた強い思いを、今も世界へ伝えている。

 

バルーンリリース(山古志地域での慰霊祭で)

 

震災の教訓をもとに開講された中越市民防災安全大学から市民防災安全士180人が誕生し、防災力向上に取り組んでいる。彼らが全国の被災地でも活躍し、防災担当大臣から防災功労者の表彰を受けたことは先月紹介したところだ。ただ今、長岡の自主防災会結成率は91%! ※全国平均 83%  防災の基本であるコミュニティの協働や防災意識の向上につながっているといえる。
また、被災の経験と教訓を次世代に語り継ぎ、”後輩被災地”からも見本にされるメモリアル施設を整備した。「きおくみらい」「きずな館」「おらたる」には、年間6万人以上が訪れ、子どもたちに災害への備えの大切さを伝えるとともに、日本中から訪れる被災者に復興への意欲と希望を与えている。


さて、これらの活動を支えたのは、中越防災安全推進機構や、山の暮らし再生機構の地域復興支援員、地域のNPOなど中間支援組織である。多くのボランティアを迎え入れ、コーディネートし、強力にバックアップしてくれた。
彼らもまた、中越地震の活躍を機に大きく飛躍し、今では長岡オリジナルの「官民共同ユニット(官民連携チーム)」によって、全国各地の被災地を駆け巡っている。

 

 

防災学習成果発表小国中学校代表)於アオーレ長岡 交流ホールA

 

 

さらなる課題への挑戦。
今、われわれは、さらなる課題に直面している。人口減少と高齢化だ。
地域の防災や見守り、除雪、生活交通など、さまざまな課題に対して、ICTIoTAIなどの先進技術を活用し、新しい防災や、中山間地域の暮らしの維持のため方策を講じていきたい。すでに長岡版イノベーションでは、被害状況把握にドローンを導入したり、災害対策用の3D地図を開発する企業への協力が進んでいる。運用が始まっている『フェニックスネット』では、かかりつけ医療機関・薬の種類・緊急連絡先などの登録情報をタブレットで確認できる。市内の大学と企業では、共同で災害救助用ロボットの開発に取り組む動きもある。
テクノロジーが【人と人】【人とモノ】【人とサービス】を最適にマッチングし、高齢者を見守り、地域と暮らしを維持する仕組みを、オープンイノベーションによって開発導入してゆく。

 

世界も、日本の社会も急激に大きく変化している。
私たちは、被災経験を決して忘れず、後世へつなげて行かねばならない。明日に向かって たゆまず歩み、希望をもって暮らす姿を発信することが、全国からの支援への恩返しであるし、責務であろう。
市民力を結集して、新しい時代を、大きな希望をもって進んでいこう。

 



  関  連  記  事 :    地域力は防災から
 タイトル画像:     今年2019年秋の山古志の風景