コロナ禍で会食・宴会・飲み会・集会・イベントなどがなくなり、 おかげで「考える時間が増えた」と感じている方が多い。目の前の“しなくては ならない事”を習慣的にこなしていた時には外に向かっていた意識が、巣ごもり生活の中で自ずと内面へ向く。人生や自分の将来について自問自答している人も少なからずおられることと思う。
自分にとって真に大切なものは何か?
本当に必要なものは何か?
真に大切な人間関係は?
このまま過去や古いものにこだわっていて大丈夫か?
新しい世界に生きる準備を始める必要があるのではないか?
長岡の産業界にも、コロナ後に備え、これからはテレワーク中心にやっていくなどと決断している経営者が大勢おられて心強い。
コロナ以降、社会も経済もこうした自問自答に答えながら一歩ずつ前に進むことで、未来がひらけていくはずだ。
人々は、人生がいかに短いか、あらゆるくだらない物事よりもどれほど重要かということを自覚した。自分がしていること、買うもの、欲しいものの多くが、おそらく無用だと理解した。
(7月12日 新潟日報 ジャック・アタリ『新型ウィルスと文明』から)
あるリサイクル業の人から「扱い量がすごく増えている」と聞いた。市のごみ回収量も増えている。まずは身辺の整理をしようと、断捨離に取り組む市民が増えているらしい。
かくいう私自身、大切にしていたモノ (本とレコード)を、思い切って断捨離した。さっぱりした。そして、なぜか元気が出た。
“呪縛”から自由になり、“内面空間”にアキができて空気が流れ込んでくる──そんな感じで、新しい動きがうまれ、元気が出るのかな?
ああこのことかもしれない、「無こそ可能性」というのは。存外、ハードルは高くないのだ。
大きな変化の中にあることを肝に銘じて、Nagaoka市民の力を結集し、まちづくりをすすめていきたいと思う。
長岡は今こそ『米百俵』の精神を発揮すべきときだ。
挿 入 画 像: 正三尺玉とナイアガラ(長岡まつり大花火大会)
タイトル画像: 一同で はなび見上げる 長岡まつり
関 連 記 事: 長岡ワークモデル