河井継之助が 志半ばで倒れてから150年余りが経つ。13年前の2006年(平成18年)、長岡市制百年の折に、河井の想いや功績やを後世に伝えようと、 長町の継之助の生家跡に建てたのが河井継之助記念館である。12月の開館だった。
設立にあたって、故原信一氏を中心に識者の方々が「どのような展示にするか、どうすれば継之助の功績を分かりやすく伝えることができるか」と議論を交わし、白紙から展示内容を決めていく過程は難航を極めたが、このただ中で働いたのが稲川明雄さんであった。
私自身、担当部長として作成作業に加わり、毎日のように稲川さんと額をつき合わせて仕事した。「歴史は、今を生きている人間のためにある」という稲川さんの強い信念の帰結が『議論して決める』というやり方だった。
大きな時代の変化に直面している今、新しい価値観と困難を打開する突破力が求められている。時には、真に正しきこととは何か?と迷うこともある。そんな時に河井記念館を訪ね、継之助の言葉に思いを致す。
基本は公と明にあり
公なれば人怨まず、明らかなれば人欺かず
(私心を捨て公のために尽くせば人はうらまない。隠しごとをしなければ誰も裏切らない)
臨終の際、継之助が外山寅太(外山脩造 : 継之助の弟子で阪神電鉄・アサヒビールなどの創始者)に「これからは商人の時代だ。商人になれ」と鼓舞したエピソードがよく語られるが、先に引用した継之助の言葉どおり、外山は『事業を起こしては軌道に乗ると譲渡する』という無欲さで、生涯にわたり無私の経済人として関西で活躍した。
こうした事績を知ると、長岡人たる心が揺さぶられる。これからの異次元の新時代を切りひらいてゆけるとしたら、このような“公なる”覚悟を持った人間であり価値観だろう。
“河井継之助”は、私たちに何ものかを吹き込んでくる。そういえば、「来館者に会社経営者や中年の勤め人が多い」と稲川館長は誇らしげに語っていた。
いまだ、稲川さんの不在が実感とならない。
衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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一忍 以て 百勇を支える可く 一静 以て 百動を制す可し
継之助の座右の銘。中国北宋時代の文人・蘇洵の言らしい。後の山本五十六にも引き継がれた境地である。