東京パラリンピックが佳境にはいってきた。選手たちの感動的な活躍に、テレビの前にくぎ付けとなっている人もいると思う。

 

ドルフィンズ練習風景(ダイエープロビスフェニックスプールで)

長岡市はこれまで、オーストラリアパラ競泳チームの事前合宿受け入れ(コロナ禍で中止となってしまったが)をきっかけに、パラスポーツの普及やパラアスリートとの交流を進めてきた。子どもたちを中心に、多くの市民の皆さんがパラスポーツに触れることで、長岡でしっかりと認知されてきたと実感する。

 

 

 



パラリンピック聖火フェスティバル

長岡市では、8月15日(日)にパラリンピック聖火フェスティバル採火式を開催した。

東京オリパラ長岡採火式

会場の馬高縄文館は、国指定史跡「馬高・三十稲場遺跡」を紹介する博物館で、縄文時代の象徴「火焔土器」が展示されている。

縄文時代は、障がいのある人もない人も、女性も、子どもも、老人も、差別のない社会を作っていたといわれている。その「共生の精神」が息づく馬高の地で行われた採火式に、シドニー五輪銀メダリスト・中村真衣さん、長岡高等総合支援学校出身のパラ陸上選手・松田將太郎しょうたろうさん、パラ水泳団体「スイム・リーダー愛」の代表・菊地きよさん、そのほか関係者が参加し、長岡から東京へと聖火をつないだ。




長岡のパラスポーツ活動

 

採火式に参加されたパラスポーツアスリート・松田將太郎さんは、陸上100m・200mの選手で、日本記録の保持者だ。昨年の日本パラ陸上競技選手権大会では、100m200mでW優勝、今年3月の同選手権大会でも同じく2種目で優勝して連覇している、屈指のパラアスリートである。
残念ながら、今回の東京パラには派遣標準記録に達しなかったため、出場には至らなかったが、今後のさらなる活躍に期待したい。

 

「スイム・リーダー愛」は、30年以上に渡り、障がいのある人を対象に水泳教室を行ってきた。参加者は60から70代の方々が中心で、約20人のボランティアが水泳指導や介助を行っている。
脳梗塞の後遺症でマヒした手足のリハビリに通う人もいれば、大会に向け練習する人もいる。この教室から、全国障がい者スポーツ大会に出場する選手も複数おり、確かな活動が根付いている。

市内には「スイム・リーダー愛」以外にも、障がい者が水泳・車いすバスケ・アルペンスキーなどを行うことができるさまざまな団体がある。障がいある人もない人も、身近にパラスポーツを楽しむことができる。


パラスポーツ支援を続けてこられた関係者の皆さんに、深く感謝する。

 

「スイム・リーダー愛」の皆さんがジャパンパラ水泳大会の事前合宿で来岡したオーストラリア代表チームの練習会に招かれた(2018年9月)



 

支える長岡の企業

 

長岡には、アスリートを支える会社もある。

(株)オーエックス新潟(長岡市西陵町)は、アオーレ長岡でもプレイしている車いすテニスの国枝慎吾選手など、世界を舞台に活躍する選手の競技用車いすを製造している。同社は、車いすメーカー・(株)オーエックスエンジニアリングのグループ会社として、日常生活で使用する車いすに加え、競技用車体のパイプやホイールなどの部品加工を担っている。

競技用車いすの製造では、選手の体格や可動域などに合わせ、1ミリ単位で要望に応えていく。試行錯誤を繰り返し、研究を重ねながらより良い製品を生み出していく過程には、まさに「ものづくりのまち長岡」の技術力が存分に活かされている。

 

 

パラスポーツを介して、私たちは障がいハンディキャップへの理解を深めることができる。それだけでない。人間の力、ことに挑戦する力を目の当たりにする。一人ひとりが個性や能力を発揮でき、多様性を認め合う「地域共生社会」の実現に向け、長岡は引き続き、パラスポーツの普及・発展に取り組んでいく。

 

 





   関  連  記  事: パラスポで明るい未来  

 タイトル画像:
オーストラリアパラチーム・ドルフィンズと「スイム・リーダー愛」メンバーのプールサイド交流(ダイエープロビス フェニックスプール)