5月4日(土・祝)に、山古志の牛の角突き初場所が開催された。
ゴールデンウイークの中、 晴天にも恵まれ、闘牛場は満員御礼。県外からのお客 さんも含め、約1,500人が来場した。今年は中越大震災から20年の節目の年。牛の角突きにとっても特別な年だ。
■国の重要無形民俗文化財
山古志の「牛の角突きの習俗」は昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定された。曲亭馬琴(滝沢馬琴)の書いた『南総里見八犬伝』「角突きと唱える神事あり」「実に是れ北国中の無比の名物、宇内(天下)の一大奇観なり」と記され、その歴史は千年とも言われる。
最大の特徴は牛を傷つけることなく、引き分けにすることだ。牛は運搬や農耕の貴重な働き手であると同時に、豪雪地である山古志では一つ屋根の下に暮らす家族のような存在だった。加えて、神事における奉納行事であることから、今のような「牛を傷つけない」スタイルになったと思われる。
1トンを超す牛の激しいぶつかり合いは、想像を超える迫力で感動的だ。力を出し切ったタイミングでの「引き分け」で、緊張と興奮から解放された観客からは、大きな歓声が挙がり、牛を引き離す勢子の活躍にも拍手が送られる。
■復興の象徴「牛の角突き」
平成16年10月23日、山の暮らしを大きな地震が襲った。中越大震災だ。
尊い命が失われ、山々は崩落し、道路は寸断。合併前の山古志村民 約2,200人が長岡への全村避難を余儀なくされた。牛たちも倒壊した牛舎の下敷きになり、多くが命を落とした。
まだ余震が続く中、集落に残された牛たちの救出が行われた。
7か月後。東山ファミリーランド内の臨時闘牛場で角突きが再開され、「牛の角突き」は被災者の希望となった。そして平成19年8月には、ついに山古志闘牛場に角突きが帰ってきた。
ここに至るまでの関係者の熱い想いと努力、そして全国からのあたたかい支援を想うと、今もって頭が下がる。
今月26日には「全国闘牛サミット」が山古志を中心として、長岡市で開催される。
震災復興の大きな象徴でもある「牛の角突き」の伝統や精神をさらに広く知ってもらう機会となるだろう。あの震災から復興した姿、感謝の想い、そして今年の能登半島地震被災地への支援を広げるメッセージを全国に届けたい。
(全国闘牛サミット支援のためのクラウドファンディングはこちら)
■進化する「牛の角突き」
千年の歴史ある牛の角突きも、時代の変化を受け入れ進化する。
平成29年に、山古志の牛を愛する女性たちから成る「山古志角突き女子部」が発足。翌平成30年には、女性による闘牛場内の牛の引き回しが解禁された。SNSでの発信やPR、グッズの制作販売などを行い、角突きを盛り上げている。今では県外の人も含め約60人の部員がいる。
また、「仮想山古志プロジェクト」(過去の関連記事はこちら)で「デジタル村民」は1,700人を超えた。山古志住民とのリアルな交流も生まれ、関係人口の広がりを見せている。また、デジタル村民の角突き好きが「山古志 牛の角突きファンクラブ」を立ち上げた。デジタル技術を生かし、角突きの魅力を発信しながら地域とつながり・交流を深めていることに注目したい。
長岡市では昨年度から、闘牛場の雨よけ・日よけ対策として観覧席の改修を行ってきた。好天に恵まれた先日の初場所で、日よけは大変好評だった。
今後も末永く、市は「牛の角突き」を支援し、伝統文化の継承と発展、観光・交流人口の増加をめざしていく。
関 連 記 事 : 仮想山古志プロジェクト 祈りの炎、永遠に── 牛の角突き初場所!
タイトル画像 : 「山古志 牛の角突き」激しくぶつかり合う牛たち